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名古屋地方裁判所 平成4年(ワ)1346号 判決 1996年3月26日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

岩本雅郎

秋田光治

井口浩治

被告

丸万証券株式会社

右代表者代表取締役

酒井謙太郎

右訴訟代理人弁護士

小栗孝夫

小栗厚紀

石畔重次

後藤脩治

長谷川龍伸

主文

一  被告は、原告に対し、金三七七〇万一五〇七円及びこれに対する平成四年二月一九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その三を原告の、その一七を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四四九八万八五九三円及びこれに対する平成四年二月一九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、大正一一年四月八日生まれの長年看護婦としての職歴を持ち、株取引の経験を持つ女性である。

2(一)  原告は、昭和四八年ころから株取引をするようになったが、昭和五八年には総てを売却した。次に、昭和六〇年ころ、野村証券株式会社において現物取引をしたが、被告において、昭和六二年六月、有価証券保護預かり口座管理契約を締結し、そのころから別紙「取引一覧表」1ないし65記載のとおり株取引をした。すなわち、昭和六二年六月には中期国債ファンドを購入し、昭和六三年九月には神戸製鋼五〇〇〇株、大阪商船三井一〇〇〇株を購入し、同年一一月には野村証券に預託していた株券を総て被告嗚海支店に預託して運用することにした(一六銘柄の現物取引)。

(二)  原告は、平成元年四月、信用取引をする適格のない者であったが、被告鳴海支店長らに説得されて信用取引を開始するための関係書類に署名捺印した。ところが、松井邦安(以下「松井」という。)は、同年四月一四日、原告の開設した信用取引口座を利用して無断で三洋化成三〇〇〇株を購入して事後連絡をしてきたが、それ以後無断取引を繰り返した。原告は、右の無断取引について苦情をいうと、松井は「利益は原告に、損が出たらこちらで持ちますから心配しなくてもいいです。」と利益保証(損失填補)する旨を述べた。松井は、同年九月にも伊藤ハムについて無断売買をしたので、原告は被告との取引を終了しようと思い、松井に対して電話で「どうしてそんなに注文しないことばかりをするのですか。株を全部返して下さい。訴えます。」と苦情を訴えたところ、松井と小島一郎(以下「小島」という。)の二人が原告宅に来て、原告の不満を解消し、担当者を交代させることにより被告からの取引離脱を思い止まらせた。なお、右伊藤ハムの無断売買は、被告もこれを認めて、平成二年三月二九日の売り手詰により生じた損金は被告の計算で処理した。

ところが、小島が担当となった後においては、前以上に無断で信用取引を行い、同年一〇月一六日のアラビア石油五〇〇株、日産化学一一〇〇〇株の無断売買をしたときの事後報告においては「手数料稼ぎのために、原告の枠で自由に取引をさせて下さい。」と一任売買の承諾を求め、「利益が出たらお客さんにつけて損はこちらで持ちますから心配いりません。」と利益保証(損失填補)する旨を述べた。

3(一)  原告は、無断で信用取引が繰り返されることのほか、株価の下落を予想したことから、平成二年一二月一一日、小島に対して電話で持ち株の全部を売却するよう申し入れた。しかし、小島は「こんなところで売ってはダメだ。一月中旬まで待ちなさい。それまでは切らせませんよ。」と言い取り合わなかった。

(二)  原告は、同月一九日、小島に対して再度持株全部の売却を申し入れ「ブラックマンデーのように下がったらどうしてくれるんですか。」と言ったところ、小島は「そんな馬鹿なことはありえない。」と言って応じなかった。

(三)  原告は、なお株式売却の意思を変えずに売却代金を預金すると約束した静岡銀行の浦野利浩の立ち会いを得て、同月二七日(水曜日)午後二時一五分ころ、小島に対して「小島さん、株全部を売って下さい。信用売りではありません。私の株全部を売って下さい。私はもう銀行に預けることに決めたのです。一〇〇〇万円につき毎月五万円の利子がつきます。すぐに全部売って下さい。」と言って売り注文を出した(以下「本件売り注文」という。)。

小島は、「他から電話が入っているので後で電話を架け直します。」と言って電話を切った。しかし、原告は小島からの返電がないので、改めて小島に架電すると同人は外出したとのことで取次をしてもらえなかった。原告は、同月二八日小島に対して再び架電したが、外出したとのことで取次をしてもらえなかった。

かくして小島は、原告の売り注文の執行をすることなくこれを無視して売り注文を拒絶した。

(四)  原告は、前記したように「株全部を売って下さい。すぐに全部売って下さい。」と明快に指示した。これは注文要件である保有有価証券全部を、直ちに、成行で、売却注文する趣旨が表示されている。小島も、これを理解してその意思表示を受けた。

しかして、被告は証券取引受託業者として、委託者である原告の注文を誠実に執行すべき義務を負うところ、被告の社員小島は、平成元年一二月二七日、原告からの所有有価証券全部の売り注文を受けながら、その売却注文を執行すべき義務を怠った。

4(一)  原告は、被告の社員小島の右債務不履行により次の損害を被った。

(1) 原告は、平成元年一二月二七日、別紙「原告損害計算書(委託手数料を加味したもの)」記載の①同日各終値での現物株(中部電力ほか一三銘柄)の合計評価額九二六四万円であり、これから手数料合計八二万八七七五円を控除すると九一八一万一二二五円となり、②投資信託(フレッシュバランスほか二銘柄)の合計評価額五一三万七四四〇円であり、③当日の信用取引の建玉は富士電機五〇〇〇株、野村証券二〇〇〇株であり、同日終値での合計評価額は、その手数料を控除すると一二八三万七八〇〇円であり、④右同日での全株式の売却代金は一億〇九七八万六四六五円となる。

(2) 被告が、右現物株(一四銘柄)、投資信託(三銘柄)、信用取引株(二銘柄)を総て売却したのは、以下の三銘柄を除き、平成四年二月一八日である。現物株のブラザー工業五〇〇〇株は平成二年二月二二日、同宇部興産一万株は同月二六日午前に売却され、信用取引株の富士電機五〇〇〇株は同日午後である。右の売却により手数料を控除した売却時取得金などは別紙「原告損害計算書(委託手数料を加味したもの)」④ないし⑥記載のとおりであり、現物株取得金は計五二五八万六八七七円、投資信託取得金は計四五〇万三五六〇円、信用取引株取得金は計七七〇万七四三五円であり、以上合計額は六四七九万七人七二円である。

(3) したがって、原告の売り注文に従い売却していれば得られた筈の売却金一億〇九七八万六四六五円から現実に得られた売却金六四七九万七八七二円を控除すると、その差額は四四九八万八五九三円であり、原告は被告の債務不履行により右同額の損害を受けた。

(二)(1)  原告は、平成元年一二月二七日、全有価証券の売却を注文したが、その後、株価は大暴落した。しかしながら、被告は、自らが債務不履行をしている間に株価の大暴落を見たのであるから損害の拡大による全損害について損害賠償責任を負う。

(2) 原告は、被告が本件売り注文を執行しないことから、原告代理人にこれを実行させるため事務を委任したところ、右代理人が平成四年二月二二日に全有価証券の売却指示を行ったが、これは創設的な意思表示ではなく平成元年一二月二七日にされた原告の本件売り注文の意思表示を実行すべく促したものに過ぎない。

(三)  なお、被告は、小島が原告に無断で次の銘柄について信用取引(買付)をしたことを認めて、被告の計算において処理した。

① 平成元年一一月一七日 北川鉄工所二〇〇〇株

② 同年一二月 八日 そごう二〇〇〇株

③ 同二年二月二五日 伊藤ハム二〇〇〇株

④ 同年三月一二日 太平洋工業五〇〇〇株

5  よって、原告は、被告に対して、本件債務不履行に基づく損害賠償金四四九八万八五九三円及びこれに対する平成四年二月一九日から支払済みまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

原告は、長年にわたり職業に就き病院に勤務し、株取引に熟達した高齢の女性である。

2(一)  同2(一)の事実中「原告がかなり前から株取引の経験のある者であり、野村証券で多額の株取引をしていたこと、その後、被告鳴海支店で別紙『取引一覧表』記載のとおりの年月日、銘柄などの取引をしたこと、野村証券での預託していた株券を右支店に預けたこと」は認め、その余は知らない。

(二)  同項(二)の事実中「原告が、平成元年四月、被告鳴海支店において信用取引を始め、その際同支店長と面談したこと、原告がその折り必要関係書類に署名捺印したこと、平成元年四月、三洋化成三〇〇〇株を買ったこと、同支店松井が原告の営業担当となったこと、その後、松井から小島に担当者が変わったこと、平成元年九月、伊藤ハムの無断売買をして被告において処理したこと」は認め、その余は争う。

ただし、原告は、被告社員が無断取引をしたとして非難するが、被告にその事後処理をさせて損失を被告に負担させた一方、自分に利益があがった株取引については利益を収めている狡猾な者である。

3(一)  同3(一)の事実は知らない、あるいは否認する。

(二)  同項(二)の事実は否認する。

(三)  同項(三)の事実中「原告が、平成元年一二月二七日小島に対して電話があり話したこと、小島が途中で電話を切ったこと、当日、その翌日の二八日原告と小島間で電話連絡が互いに行き違いとなったこと」は認め、その余は否認し、あるいは知らない。

原告と小島鳴海支店次長が電話で話したのは一二月二七日午後二時四五分ころであり、話の内容は日常的に顧客からの行われる相談であって「株が心配だから全部売りたい」という「売り希望の相談」であり、売り注文ではない。

小島は、一二月二七日午後二時四五分ころ大引け直前に原告から電話を受け、原告の全株売却の話を聞いて冗談であると思ったほどである。小島は、自らの相場観から「翌年一月中旬まで様子を見たらどうか。」と言ったところ、原告は納得した。

小島は、平成元年一二月二八日朝、原告宅に電話したところ、原告は不在であり、二八日午後、原告から電話があったときには、外出中であった。そこで、松井が原告と電話の応対をしたが、その折り全株売却の話は出ず、全株の株価を確認したに過ぎない。その後、小島は、平成二年四月二日朝までの間、原告とは幾度も話し合ったが、全株売却の話は一度も出ていない。右の四月二日朝、初めて原告から全株売却注文の話を聞き、驚いて同日正午ころ原告宅を訪れた。

(四)  同項(四)の事実中「被告が証券会社として法に定める義務を負うこと」は認め、その余は否認し、法的主張は争う。

4(一)(1) 同4(一)の柱書は争い、同項(一)(1)の事実中「別紙『原告損害計算書(委託手数料を加味したもの)』記載の現物株の銘柄、株数、投資信託の銘柄、株数、信用取引の銘柄、株数」は認め、損害の発生などその余の事実は争う。

損害の算定に当たり、平成元年一二月二七日の終値に基づく総額が損害額の計算の基礎となることはない。

(2) 同項(一)(2)の事実中「現物株、投資信託、信用取引における各銘柄の現実売却日時、株数」は認め、その余は争う。

(3) 同項(一)(3)の事実は争う。

(二)(1) 同項(二)(1)の事実中「大暴落があったこと」は認め、その余は争う。

(2) 同項(二)(2)の事実中「原告代理人が平成四年二月に売却指示をしたこと」は認め、その余は争う。

(三)  同項(三)の事実中「④の太平洋工業に関する事実」は否認し、その余は認める。

三  抗弁等

1  本件売り注文の不存在

原告が、平成元年一二月二七日、被告に対して全有価証券について売り注文をした事実は、以下の理由からなかった。

(一) 注文要件について

(1) 原告と被告間においては、普通契約約款である受託契約準則が適用されるところ、同準則四条(平成四年改正後の準則六条)は、顧客が証券会社に対して売買取引を委託するときは、その都度、売買取引の種類、銘柄、売付け又は買付けの区別、数量、値段の限度(成行注文か指値注文かの区別)、現金取引又は信用取引の区別、売付け又は買付けを行う売買立会時(寄付き、ザラバ、大引けなどの区別)、委託注文の有効期間を指示しなければならないと規定する。さらには、顧客は、右の注文を出すときまでに申告分離課税、源泉分離課税にするのかの選択をする必要がある。

(2) 原告は、長年にわたり株式取引をしてきた経験を持つ者である。原告は、本件売り注文をしたとするが、売却対象銘柄を特定せず、一四銘柄の現物株、三銘柄の投資信託、二銘柄の信用取引株の総てを売却するとの表示行為をしなかった。特に、値段は重要であるところ、成行注文か指値かの区別は必須のことがらであるのに、原告が右の区別をつけた注文をしなかったこと、注文の有効期間を定めることもしなかったことは明らかである。通常、証券会社は週末を区切りとして注文を受け付けるが、仮に平成元年一二月二七日に注文があったとすると、その注文は長くとも年末の同年一二月二九日(金曜日、大納会)までの効力しかない。また、大量株式の売却を注文する以上、税金の申告方法についての指示をするのが重要であるが、原告はこの点に触れるところはない。

(3) 以上によれば、原告が実際にした電話での表示行為を前記約款、取引慣行などにしたがって判断するとき、原告の主張する所有全証券の売り注文があったと解することはできない。原告の架電による行為は売り注文ではなく、単なる売りについての相談に過ぎない。

(二) 注文意思の欠缺

(1) 原告は、平成元年一二月二七日の小島に対する架電による行為は、右当日はもとよりその後においても全証券の売り注文意思はなかった。原告は、常日頃から注文を決定するまでに相当に迷うことの多い人物である。右一二月二七日の原告の「全部売ってみたい。」との発言の際も、それは相談の域を出るものではなく、事実、同日、小島への架電直後、被告鳴海支店に架電して経理担当者に対して自分の株が売買されたかを問い合わせ、「売っていません。」との回答を聞きながら、同日、その後の午後三時二〇分ころ、自分の保有証券の売却方についてなんら積極的な行動に出ていない。さらに、それ以降においても、原告は売却について被告鳴海支店への訪問、文書での申入れをしていない。

(2) 原告は、平成二年二月二二日午後一時一〇分、現物株ブラザー工業五〇〇〇株を一〇一〇円の指値により売り、同月二六日午前九時四〇分、現物株富士電機五〇〇〇株を一〇〇〇円の指値により売り、同日午後一時四五分、宇部興産一一万株を七五〇円の指値により売った。

原告は、同年三月五日、信用建玉の野村証券二〇〇〇株の代金を入金して現受けの手続をした。

したがって、原告は、平成二年二月二一日、既に「全株の売り希望」さえも撤回していた。

(3) 原告は、平成二年三月二二日付内容証明郵便において「全株売り注文」についてなんら触れるところはない。そして原告は、同年四月二日、小島に対して電話で去年末の全株売りの話を持ち出され、小島は、驚いて同日昼ころ、原告宅を訪問したが、その際、原告は「やっぱり私がはっきり言わなかったのがいけなかったのかしら。」と発言した。

(三) 以上の次第であるから、原告の平成元年一二月二七日に小島に対してした電話での遣り取りは、全有価証券の売り注文の表示行為としては、注文の体をなさないものであって、実際においても、全証券の売り注文の意思を欠いたものであった。したがって、被告には、その当時、原告からの売り注文を執行すべき義務を負担したことはない。

2  損害について(仮定的主張)

(一)(1) 投資家は、証券取引をするに際して日々の証券価格の変動に伴い常に損失のリスクと向き合い、これを認識したうえで自己の責任において市場に参加し、公正に形成される市場価格のもとで証券取引をする。これを自己責任の原則という。

(2) 原告は、平成元年一二月二七日当時の時価評価額(例えば、東京証券取引所の日経平均株価は三万八八〇一円)と二年後の株価の大暴落して損害の拡大した平成四年二月一八日当時の時価評価額(例えば、右同日経平均株価は二万〇八七二円。下落幅は46.2パーセント)との差額全額を損害であると主張する。しかし、原告は、一二月二七日の後に投資家として明確に売り注文の行動をとればとれた筈であるのにそうすることもなく、この二年の間に発生したイラク紛争、ソ連のクーデター、バブル崩壊による株価の暴落損までの一切を賠償すべきであると主張する。しかし、この間において、投資家は皆同じ程度の損失を被ったのであるから、この程度は原告自身が負担すべきである。それにもかかわらず、原告が損害を賠償を求めることは、証券取引法五〇条の三第二項三号、同第一項三号の禁止する違法な喪失填補要求であると認めるべきものである。

さらに言えば、この二年以上の歳月の経過の間には、前記した諸事件のために因果関係は切断されている。

(3) 原告が、平成元年一二月二七日、小島との電話での遣り取りがあった後、一二月二八日、二九日と連騰して史上最高値の平均株価を目指して上昇していた。原告が真に売り注文をしたいならば、一二月二八日、二九日に明確に売り注文をすべきであったにもかかわらず、高騰していたから売り注文を逡巡し、そうしなかった。この意味で、二八日、二九日の右株価の上昇は二七日の売り注文と損害の間の因果関係を切断するものである。

(4) 原告の売り注文は、その有効期間を経過したことにより効力を失なった。つまり、受託契約準則四条一項八号(平成四年改正後の準則六条一項七号)によれば、委託注文の有効期間は、顧客の特別な指示があれば一週間程度と定めるときもあるが、指示のないときは有効期間は一日限りとされている。仮に原告が一二月二七日に売り注文をしていたとすると、注文の有効期間を指示していないので、その効力は一日限りとなる。この意味で、原告の売り注文は二七日の経過により消滅したものであるから、その後の損害との因果関係もない。

(5) 原告は、平成二年二月二二日にブラザー工業五〇〇〇株を指値で売り注文を出し、同月二六日には信用取引の富士電機五〇〇〇株を指値で売り注文を出し、同日現物株の宇部興産一万株を指値で売り注文を出している。同年三月五日には、信用取引の野村証券株二〇〇〇株を現受けの手続をした。原告の右行為は、自ら因果の流れを断ち切る行為をしたものというべきである。したがって、原告が主張する全証券売り注文(本件売り注文)は遅くとも平成二年二月二一日までには完全に撤回した。

(6) 原告は、平成二年三月二二日付内容証明郵便を被告鳴海支店に送付して株券の返還を求めている。しかし、これには全証券売り注文の件を触れる点はない。したがって、原告は、右郵送により本件売り注文との因果関係を切断した行為をしたものというべきである。

平成二年二月二二日以降の株価暴落損、原告代理人弁護士が受任した後の株価暴落損を含めて損害であるとして請求することは不当である。

(7) 以上のとおり、原告の損害は本件売り注文となんらの因果関係もない。

(二) 仮に原告の損害と本件売り注文との因果関係があるとしても、平成二年初めからの株価の大暴落による損害は民法四一六条一項の通常損害ではなく、同条二項の特別の事情によって生じた損害である。そして、誰しも右の特別損害を予見することは不可能であったのであるから、債務不履行による損害を賠償請求することはできない。

3  過失相殺(予備的主張)

仮に被告が損害賠償責任があるとした場合、左記の事情にかんがみれば、原告においても相当因果関係のある損害の発生について相当の不注意があるので大幅な過失相殺をすべきである。

(1) 原告は、受託契約準則の定める注文要件を明らかに充足する注文を一度もしていない。

(2) 原告が、真に売り注文をする意思があったならば、平成元年一二月二八日、二九日あるいは翌年正月明けでもさらに明確に売り注文をすることができた筈である。

(3) 原告は、平成二年二月下旬には「全株売り希望」さえも完全に撤回して個別注文に切り換えた。

(4) 原告は、平成二年三月二二日付内容証明郵便を被告に対して送付したが、そこで「全株売り注文」に何も触れなかった。

(5) 原告代理人が発した平成二年四月四日付通知書でも被告に対して「全証券売り注文」の指示をしていない。

(6) 原告の損失は、自己責任の原則の妥当する証券取引の領域でのものであって、平成二年初めからの株価大暴落に起因するものであって、右のような大暴落は誰もが予見できなかった。

(7) この時期には、他の一般投資家の殆どが原告と同程度の損失を受けていた。

四  抗弁等に対する認否

1(一)  抗弁等1の柱書の事実は争い、同項(一)(1)ないし(3)の各事実、法的主張は総て争う。

(二)  同項(二)(1)ないし(3)の各事実、主張は総て争う。

2(一)(1) 同2の柱書の事実は争い、同項(一)(1)の法的主張は認める。

(2) 同項(一)(2)(3)(4)(5)(6)(7)の各事実、法的主張はいずれも争う。

原告は、平成二年一月、二月、小島あるいは松井に対して電話で全株の売り注文の執行を繰り返して求めたが、総てこれを拒絶された。小島は、注文を執行しないばかりか、平成二年二月一五日には逆に伊藤ハムを無断売買するなどに及んだ。原告は被告鳴海支店長に抗議をしたが、なお被告は本件売り注文に応じないので、原告は、止むなく他の係員を通じて取り合えず信用建玉を一つずつ落として行った。原告のこうしたやむを得ない行動をもって本件売り注文を撤回したと見ることは到底許されない。

原告は、途方に暮れて野村証券の担当者に相談した結果、株の返還を求める内容証明郵便を出すことのアドバイスを受けて、他の証券会社を通じて売却するために株券の返還を求めて、同年三月二二日付内容証明郵便を被告に送付した。ところが、被告は、この要求すらも拒絶したため、自分で処理することを断念して原告代理人の下に救済を求めて駆け込んだ。このような被告の不当なやり得、顧客を蔑視したあしらいを是認する余地はない。

(二)(1)  被告は、因果関係の切断をいうが、証券市場においては、いかなる事件、出来事がいつどこでどのように生じてもおかしくはなく、常に予見すべき事柄であり(現実に予見できるか否かは別論であるが)、いかなる株価の変動が生じてもそれ自体は予見可能性があるとされる。取引市場の閉鎖などのない限り、因果関係が切断されることはなく、この意味で、被告が主張する諸事件の生起により相当因果関係が切断されることはない。

(2) 原告の本件売り注文に基づき直ちに被告において注文執行していれば、被告は、四営業日目の決済期限には全売却代金を引き渡すべき義務がある。この金額を原告は損害として主張するのであり、それ以後の拡大損害を含むものではない。右の売却価額は平成元年一二月二七日の終値を基準価額とする。原告は、被告が主張するような中間最高価格に基づく損害賠償を求めるのではなく、また被告が言うような特別事情に基づく損害を求めるものでもない。

被告がいうところは、右の損害額が実際に売却された場合の時価如何によっては、実際支払売却代金残額の差額に変動がある点を指摘するに過ぎない。具体的には、現実には売却当時の時価による売却総価額の支払は前記損害に対する損害の一部填補(一部履行)に過ぎない。

(3) 原告は、本件売り注文において、一括売却という一義的な指示をしたものであって、取引中止の意思を含んでいた。また、被告は、証券会社としては顧客の間において注文という委託の有無を争う以上、それ以上の損害の拡大を防止するために直ちに清算して損害の拡大を防止すべきである(証券会社の清算処分義務)。

しかりとすれば、原告代理人が平成二年四月四日付で売り注文不執行の損害賠償を求めたのであるから、被告において本件売り注文の有無を争うとしても、右以降の損害を防止すべく直ちに清算処分すべき義務があったというべきである。

被告は、平成元年一二月二七日の原告自身の売り注文の執行を拒否し、平成二年四月四日付の原告代理人の責任追及(前記内容証明書の送付、証券業協会ヘの紛議調停申立て)に対してもなんらの対応もなく、売り注文の執行を回避し続けただけであった。かかる被告の対応の結末を、原告に転嫁する根拠は見出し難い。

3  同3の事実、法的主張は争う。

第三  証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  次の事実は当事者間に争いがない。

1  原告は、大正一一年四月八日生まれの女性であるが、以前、野村証券株式会社(以下「野村証券」という。)で多額の株取引をした経験と職歴のある女性である。原告は、昭和六二年六月からは被告鳴海支店において別紙「取引一覧表」記載のとおり計六五回にわたり株の現物取引、信用取引、債権売買の取引を行った。

2  原告は、平成元年四月から、被告鳴海支店において信用取引を始めた。原告の信用取引を担当した同支店社員は松井邦安(以下「松井」という。)であったが、松井は、平成元年九月二九日、原告の名義を無断で使い伊藤ハム二〇〇〇株を信用買いした。その後、松井は原告の担当から外れ、替わりに同支店次長小島一郎(以下「小島」という。)が原告の担当となった。

3  小島は、原告の名義を無断で使用して①平成元年一一月一七日北川鉄工所二〇〇〇株を、②同年一二月八日そごう二〇〇〇株を、③同二年二月一五日伊藤ハム二〇〇〇株をそれぞれ信用買いした。後に、被告は、小島の無断売買を認めて右各無断取引を自社の計算において処理した。

4  原告は、平成元年一二月二七日(水曜日)午後、被告の小島次長と電話で持株について話したが、その話は中途で打ち切られた。その当時、原告は、別紙「原告損害計算書(委託手数料を加味したもの)」記載の一四銘柄の現物株、三銘柄の投資信託、二銘柄の信用取引の株を保有していた。

二1  原告は、平成元年一二月二七日、小島に対し電話で全保有有価証券を売却する旨注文したのに、小島はこの注文を拒み売却注文の執行をしなかった債務不履行がある旨主張する。そこで、まず原告は小島に対して全保有有価証券の売り注文(以下、売り注文の対象範囲を別にして、右売り注文の意思表示そのものを「本件売り注文」という。)をしたのか、次に被告には原告の売り注文を執行しなかった債務不履行があるか否かを検討する。

2  原告の職歴等

前記一1の争いのない事実と原告本人尋問の結果によれば、原告は、名古屋高等女学校を卒業し、日本赤十字の学校に学んだのち陸軍従軍看護婦を勤め、以後六五歳の定年まで看護婦として国立病院、中日病院(総婦長)、第二日赤病院(看護婦長)に勤務し、退職後は夫、娘と同居生活をしていたこと、原告は、昭和四八年ころから夫とともに株式取引を始め、昭和五八年には夫が商品取引において約三〇〇〇万円の損失を出したので保有株式を売却したこと、夫が病気であるため、昭和六〇年ころから原告単独で野村証券で現物株式の取引を再開したが、昭和六二年、当時満六四歳の原告は、知人に頼まれて被告の鳴海支店において現物株式の取引などをするに至ったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  本件売り注文までの経過

前記一1の争いのない事実のほか、成立に争いのない甲第五号証、乙第二号証の一ないし一〇、第三号証の一ないし三、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一号証、証人松井邦安、同小島一郎の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和六二年六月から翌六三年一〇月までの約一六カ月間に、被告鳴海支店において、知人の息子を窓口として五件の買付取引をした。このうち二件は中期国債ファンドを買い入れ、三件は現物株の買付取引をした(別紙「取引一覧表」1ないし5参照)。

(二)  原告は、昭和六三年一一月から鳴海支店の担当者が松井に変わり、同人の担当期間中、同人の勧誘などもあって翌平成元年九月までの約一一カ月間に四〇件の買付取引を行った。右取引の内容を信用取引を始めた平成元年四月七日の前後に分けて見ると、以下のとおりである。

(1) 原告は、昭和六三年一一月から平成元年三月までの約五カ月間に計一九件の買付取引、このうち債券買付取引を二件、現物株の買付取引を一七件を行った(別紙「取引一覧表」6ないし24参照)。

(2) 原告は、平成元年四月七日、被告との間で「信用取引口座設定約諾書(並びに「貸借銘柄以外の銘柄についての信用取引委託特約書」)」に署名捺印して信用取引を始める旨合意した。

(3) 原告は、平成元年四月から同年九月までの六カ月間に二一件の買付取引をし、このうち債券買付取引を四件、現物株の買付取引を六件、信用取引株の買付取引を一一件行った(別紙「取引一覧表」25ないし45参照)。

(4) 原告は、平成元年四月の信用取引を始めた後、担当者松井の取引の仕方に不安を覚えた。同年九月二九日、原告は、松井が伊藤ハムの信用取引株二〇〇〇株を無断で買い付けた件について不信感を募らせ(被告が伊藤ハムの株を売却したのは翌年三月二九日である。)、被告との取引を止めたい旨の意向を洩らしたが、被告の鳴海支店と協議したすえ原告担当者が松井から小島次長に変わることで事態を収束させた。

(三)(1)  原告は、平成元年一〇月以降、小島次長の担当のもとに、その積極的な営業活動の影響のもとに同年一一月までの二カ月間に一七件の買付取引をし、うち債券買付取引はなく、現物株の買付取引を三件、信用取引株の買付取引を一四件行った(別紙「取引一覧表」46ないし61参照)。

以上の取引のうち、平成元年一一月一七日の北川鉄工所二〇〇〇株の買付信用取引(別紙「取引一覧表」62参照)について、原告は、小島により自己の名義を使って無断で買われたが、翌年五月に被告の計算において右取引を清算した。

(2) 原告は、平成元年一二月一日から同月二七日の前までの間、一度の買付取引もしていない。

ただし、原告は、平成元年一二月八日のそごう五〇〇〇株の買付信用取引(別紙「取引一覧表」63参照)について、小島により自己の名義を使って無断で買われたが、翌年六月に被告の計算において右取引を清算した。

4  本件売り注文の存否

前掲甲第五号証のほか、成立に争いのない甲第一三ないし第一五号証、証人浦野利浩の証言により真正に成立したと認められる甲第一号証の一、二、第二一号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第二二号証(ただし、後記採用しない記載部分を除く。)、証人小島一郎の証言により真正に成立したと認められる乙第一一号証(ただし、後記採用しない記載部分を除く。)、証人松井邦安、同小島一郎の各証言、原告本人尋問の結果(ただし、証人松井邦安、同小島一郎、原告本人についていずれも後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、右認定に反する甲第二二号証、乙第一一号証の各記載部分、証人松井邦安、同小島一郎、原告本人の各供述部分は前掲各証拠と対比するとき未だ採用できず、他に右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

(一)  原告は、小島の取引の仕方に疑問を深めていたが、平成元年一二月に入ってからも小島が再び無断売買をしたこと、さらに自分なりに相場の行方を考えると暴落が近いのではないかと思い、小島に対して「株を売却したいのだが」旨の電話をしたこともあった。しかし、小島は、高値で相場が活況を呈していた当時の状況下において、自分の相場観を説明して原告の話を聞き置いていた。

(二)(1)  原告は、同月一八日ころ、当時の預金金利が高率であったので、静岡銀行新端橋支店にでかけた際に、初対面の銀行員浦野利浩(以下「浦野」という。)に対して定期預金の利率を尋ね、株に投下した資金を銀行預金に移し替えた場合の金利月額を試算したりしていた。

(2) 原告は、同月二七日、午後二時前ころ、自宅に銀行員浦野の訪問を受けた。浦野は、原告に対して済手形を届けその利息を説明した後、株を解約して定期預金を組む話に入った。

原告は「今一度電話する。」旨言って、浦野を玄関に座らせたまま近くの電話をとって被告に架電した。浦野は、約一〇分ほどの間、原告が始めは静かに次第に怒った口調で話すのを聞いた。原告の話の大筋は「この間、売るように言ったのはどうなっているか。まだ売っていないのか。全部売って。今すぐ売って。切って。いま銀行が来てるから、売ったお金で預けるから。」であった。浦野は、電話を終えた原告から「切られちゃった。もう一度かかってくる。」と言われたので、改めて定期預金の利息などの説明をして株の売却が済み代金が入ったときには定期預金をするように述べて午後三時前に原告方を辞した。

(三)(1)  原告は、右同日午後二時過ぎころ、被告鳴海支店の小島に対して電話して「株全部売ってください。信用取引ではなく、私の持っている株全部売ってください。銀行に預けると月に五万円の利子があるから、もう銀行に預けることに決めたんだから全部売ってください。」など言ったが、小島は「こんなところで売ったら大変なことになる。こんなところで切るのはもったいない。」と答えた。

原告は、小島が「大事なお客さんが来ているから。」と話すので「売って下さいね。」と言うと、小島は「後で電話するから。またかけます。」と言って電話を切った。

原告は、その後、被告鳴海支店に電話したが、小島に繋がらないので、同日午後三時過ぎころ、同支店経理係に持株の取引について尋ねた。

原告は、翌二八日午前九時ころから病院にでかけ、自宅に戻ってから正午過ぎと午後二時ころの二回小島に電話したが連絡がとれなかった。原告は同月二九日には小島に連絡しなかった。

(2) 小島は、それまで原告を決断が遅く躊躇する傾きの強い客であると考えていたところ、右同日午後二時過ぎころ原告から電話で「売りたい。銀行に預けるから、利息は月五万円になる。全部売りたい。」(証人小島一郎の証言)「株は心配だから全部売りたい。」(甲第一四号証の平成三年一〇月七日付証券業協会名古屋地区調停委員会宛の被告答弁書)と言うので、本気とは思えず「売るのはいつでもできるから。一月半ばまで様子を見たらどうか。」など自らの相場観を述べ、他の客から電話があったので「また後で電話します。」と言って原告との話を打ち切った。

なお、小島は、原告との右遣り取りをしたのち社外の客廻りに出て、原告に電話することなく、翌二八日午前中に一度連絡しようとしただけで結局原告に連絡できず、日経平均株価が三万八九一五円という史上最高値を付けた二九日には原告に対して何の連絡もしなかった。

5  本件売り注文後の経過

前掲甲第五号証、第一三ないし第一五号証、第二二号証(ただし、後記採用しない記載部分を除く。)、乙第一一号証(ただし、後記採用しない記載部分を除く。)のほか、成立に争いのない甲第二号証、第三号証の一ないし三、証人松井邦安、同小島一郎の各証言、原告本人尋問の結果(ただし、証人松井邦安、同小島一郎、原告本人についていずれも後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、右認定に反する甲第二二号証、乙第一一号証の各記載部分、証人松井邦安、同小島一郎、原告本人の各供述部分は前掲各証拠と対比するとき未だ採用できず、他に右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

(一)(1)  原告は、平成二年一月、株取引など一件の取引もしなかったが、同月中旬ころ、小島に対して、一二月二七日に売らなかった件について文句を言ったところ、却って買いを勧められた。

(2) 原告は、同年二月一五日、小島により再び信用取引株伊藤ハム二〇〇〇株(別紙「取引一覧表」64参照)を無断買付されたが、これは、同年六月に被告の計算において清算された。

(3) 原告は、同月二〇日、不安が募り橋本鳴海支店長に電話して「一二月二七日の売り注文をしたのに売らない。無断売買を止めない。」などと抗議したところ、支店長は特段の対応も取らずに、その後は支店長との連絡もとれなくなった。

(4) 原告は、同年三月一二日、小島により信用取引株の太平洋工業五〇〇〇株(別紙「取引一覧表」65参照)を無断で買われ、同日売られたが、この取引上の利益を受け入れた。

(二)(1)  原告は、小島、松井以外の社員を介し、平成二年二月二二日、ブラザーミシンの信用取引株五〇〇〇株を売却し、二月二六日、前年に現受した宇部興産株一万株を、また富士電機の信用取引株五〇〇〇株をいずれも売却した。

(2) 原告は、被告が株を売却しないので、困惑して他に相談した結果、株券を返して貰い売るように教えられ、鳴海支店長と小島宛に同年三月二二日付「株券返還請求書」と題する内容証明郵便を送付した。被告は、この求めにも結局応じなかった。

(3) 原告は、同年四月二日朝、小島に対し「一二月二七日に株を売却したかったのに売ってくれなかったから賠償して欲しい。」旨を電話で言ったところ、小島は驚いて同日正午から午後三時ころまで原告方に赴いて話し合った。(この際、原告が「やっぱり私がはっきり言わなかったのがいけなかったのかしら。」旨の発言をした事実を認めるに足りる的確な証拠はない。)

(4) 原告は、株を売れず、株券も返されず、対応に窮して、同月三日、原告訴訟代理人弁護士に相談し、同弁護士は、被告に対して、無断売買の件と本件売り注文の不執行による損害賠償を請求する件の内容などを記した同月四日付「通知書」を被告に送付した。

三  前記一1ないし5記載の事実及び二1ないし5認定の事実を総合すると、次のとおり認められる。

1(一)  原告は、平成元年一二月二七日午後二時過ぎころ、被告の鳴海支店小島次長に対し電話で「私の持っている株全部売ってください。」「株は心配だから全部売りたい。」と述べて、原告の保有株式の総てを売却注文する旨の意思表示をした。小島は「後で電話するから。またかけます。」と言って電話を一方的に切ったのに、同二七日午後に原告に連絡することなく、翌二八日も連絡をとれないままに終日を過ごし、さらに二九日には原告に連絡しようともしなかった。

小島が、原告から指値はなく、税務処理上の指示もないこと等を理由として前記した電話での発言内容を「売りの相談」「売りの希望」であると解するには、それが合理的な理解であると認めるに足りる事情のあることを要する。しかし、右の事情の存在を窺わせる証拠は本件全証拠を精査しても見出し難く、むしろ、前示したように原告の売り注文の発言を遮り打ち切ったのは小島自身であるから、注文の内容を精密に見れば不備を指摘できるとしても、それゆえに注文ではない等と見ることはできない。さらには、原告の前記した電話での発言内容を合理的に解釈するとき「売り注文(成行の売り注文)の意思表示」であると認められる以上、被告が前示した税金に関する微疵を理由に注文の体をなさないとの主張もまた採用できない。

(二)  他方、小島が証券会社の営業担当者として顧客の売り注文を拒んだと認めることは、前記事実関係に照らしできない。しかしながら、小島は、仮に原告の売り注文の仕方(仕切り方)が周到でないと考えたのならば「あとで電話する。」旨述べて顧客との話を遮り一方的に打ち切ったのであるから、証券会社の営業担当者としていかに年末の繁忙期にあったとしても、改めて一度は原告の意思を直接確かめてから最終的に株式売付注文伝票を切るか否かを決めるべき職務上の注意義務を負っていたというべきである。

してみれば、小島は、自分の相場観からは原告の注文が特異な考えに基づくとしても、顧客である原告が自己の責任において決めた結論である注文(成行の売り注文)を聞いた以上は、前記した職務上の注意義務を尽くして執行すべきである。しかるに、小島は、右注意義務を怠り、漫然と日時を過して顧客の売り注文を執行しなかったことは過失によりその職務を誤ったというほかない。

(三)  次に、原告の右売り注文は「全株式」というのであるから、現物株と信用取引株を含むことは勿論であるが、投資信託は、特段の事情の無いかぎり、これに含まれず、右特段の事情は本件全証拠を精査しても見出し難い。したがって、原告の「全有価証券」の売り注文であるとの主張は採用に由ないところである。

(四)  さらに、原告の売り注文の意思表示の有効期間を検討すると、前記した原告と小島間の遣り取りの内容と刻々と変化する証券市場における売買の注文であることにかんがみれば、前示した事実関係にある本件においては、原告が二七日午後二時過ぎころにした売り注文の意思表示は遅くとも翌日の二八日後場大引け時までは有効であったと解すべきである。したがって、一二月二七日の経過により原告の売り注文の意思表示が失効したとの被告の主張は理由がない。

(五)  被告は、原告が平成二年二月二二日ころまでに売り注文の意思表示を撤回したと主張するが、原告の個別売却は小島、松井以外の者を介して行ったものであり、これゆえに撤回があったとはいえない。被告の右主張は理由がない。

(六)  以上によれば、被告は小島次長が原告の全株式(現物株と信用取引株)の売り注文を執行しなかった債務不履行による損害を賠償すべき義務がある。

2 以上に認定した事実関係によれば、原告にも、平成元年一二月二八日午前中病院にでかけていて小島の原告ヘの連絡を受けられなかったこと、同日午後、自らも今少し被告社員に対して明瞭に意思表示すべきであったことの二点において、本件損害の発生について顧客としての不注意があると認められる。原告のかかる不注意は、後記損害の算定に当たり斟酌するのが相当であり、その過失相殺割合は一五パーセントであると認められ、後記損害額から右割合の減額をすべきである。

四1  原告は、遅くとも平成元年一二月二八日後場大引け時までに同日終値で保有する全株式を売却すべきところ、被告の債務不履行によりこれを売却できなかった。

成立に争いのない甲第一八号証、第二三号証の一、原本の存在と成立に争いのない第二三号証の二、第二八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第四、第五号証、第一〇号証、証人小島一郎の証言と弁論の全趣旨を総合すると、平成元年一二月二八日の終値は少なくとも前日終値より下がっていなかったと認められるから、別紙「原告損害計算書(委託手数料を加味したもの)」記載の一四銘柄の現物株、二銘柄の信用取引株を保有していたところ、右「原告損害計算書(委託手数料を加味したもの)」の現物株と信用取引株の銘柄の各単価、①ないし⑥の各事実とその数値記載のとおりであると認められる。したがって、右計算書の「③想定受取代金」合計額一億〇四六四万九〇二五円(内訳九一八一万一二二五円、一二八三万七八〇〇円)から「⑥売却時取得金額」合計額六〇二九万四三一二円(内訳五二五八万六八七七円、七七〇万七四三五円)を控除した残金四四三五万四七一三円が損害額となる。

2  そして、損害四四三五万四七一三円から前記した原告の過失相殺割合一五パーセントの減額をすると、残金は三七七〇万一五〇七円となる。

したがって、右損害額を超える原告の主張は理由がない。

3  被告は、本件売り注文と原告の損害の間には因果関係はないと主張する。しかし、前示したとおり小島の債務不履行と原告の損害とは相当因果関係があり、それは民法四一六条一項の通常損害であるから、被告の右主張は理由がない。

4  したがって、被告は、原告に対して、本件債務不履行による損害賠償金三七七〇万一五〇七円及びこれに対する弁済期の経過した後である平成四年二月一九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

五  よって、原告の本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを一部認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官稲田龍樹)

別紙取引一覧表、原告損害計算書<省略>

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